芦原英幸、石井和義、佐竹雅昭と聞けば、「カラテ」ですよね。
この流れに詳しい人は、カラテにも結構詳しい人ですね。
順番に、弟子(石井和義)、孫弟子(佐竹雅昭)ですよね。
ここに「大山倍達」の名前がないのは、「弟子からみた師匠」について書こうと思ったからです。
つまり「大山倍達」の師匠を私は知りません。
調べれば名前ぐらい出てくるとは思いますが、ネットでの情報なので、何とも言えないので省いたんです。
この三人の自伝を数冊読んで思ったことを綴りたいと思います。
一つ言えることは、皆、独立(分裂)は「お金」が絡んでいたということです。
皆「お金」で分裂したんです。
その前に、少なからず師匠は尊敬していたはずなんです。
どうして、師匠から離れたんでしょう。
芦原会館と正道会館の独立
これは諸説ありますが、大山倍達氏が片道分の交通費だけを持たせて、「四国に極真カラテを広める」というミッションを芦原英幸氏に託したことから始まりました。
本当に苦しいスタートだったと思われます。
ここでは詳しい話は割愛しますが、それから数年で四国は言うに及ばず、関西にまで勢力を伸ばした「極真会館芦原道場」を師匠の大山総裁が良くは思わなかったということです。
極真会館はフルコンタクト空手のパイオニアとして大きな組織になっていましたから、芦原英幸氏に辞めるように仕向けた様です。
また、今度は芦原英幸氏から関西方面を「極真会館芦原道場を広める」というミッションで石井和義氏が飛ばされた訳なんです。
K-1を主催して世間に一大格闘技ブームを起こした張本人ですから、指導力には定評がありました。
それと「空手バカ一代」ブームに乗って、極真会館芦原道場は爆発的に門下生が増えて毎月集金に来る芦原英幸氏には月会費の数百万円を現金で渡していたそうです。
それほど貢献しても石井和義氏にしてみれば、極真会館芦原道場の職員なので、月に10万円程度の給料しか貰えず、苦しかったと書いています。
芦原英幸氏にしても石井和義氏にしても、苦しい状況だったと思いますが、師匠から託された「使命感」にかられていたと思います。
しかし、どれほど頑張っても評価されない会社や上司では誰でも嫌になるのは当たり前です。
「空手は武道であるから、心と身体を練磨する」と言っても、人間ですから気持ちの変化や限界はあるわけです。
一説では芦原英幸氏が極真会館を脱退する時に、同時に極真会館芦原道場を脱退した石井和義一派は極真会館に戻りたかったと聞いています。
とりあえず「正道館」として、スタートしたが、本家の極真会館はそれを許さなかったんでしょうかね。
しかし、そのことが石井和義氏の「商才」を開花させたと言っても良いでしょう。
独立して1~2年で、「全日本大会」が開けるのは相当な商売センスがあったと思います。
また、芦原会館には行かず、正道館に残った弟子たちにも恵まれたのでしょう。
それは、遠くの創始者より近くの先生についていくのは人情です。
しかも、商才も空手のセンスも持ちあわせていたんですから。
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時代は繰り返す
しかし、今度はK-1が大きくなると代表選手だった佐竹雅昭氏の身に、石井和義氏が芦原英幸氏にされた仕打ちと同じ、またはそれ以上の仕打ちを与えられたと「まっすぐに蹴る」には書いてありました。
また、大学を卒業する時に就職しないで正道会館の職員になるように言われてなったはいいが、聞いていた条件と全く違っていたそうです。
これまた10数万円程度の給料だったと。
しかも、K-1全盛期の頃には、パンチドランカーの症状に悩まされて、なんども「もう出場は無理です」といったのに石井館長は「もうポスター刷ってあるから」と許してくれなかったそうです。
試合の記憶が無かった事は、1度や2度では無いとのこと。
本当だったら、かなり危険な状態ですね。
また、芸能界にも少し進出していた頃は芸能事務所的な感じにもなっていて、自分のやりたいことがほとんど出来なかったと書いてありました。
最後は、武蔵との試合の判定に納得が行かず、K-1や正道会館から離れたような感じになっていますが、かなり石井館長には不満があったようです。
また、「弟子」となっていましたが、「一度も空手を教えてもらった事は無かった」とも書いていました。
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まとめ
空手家の分裂には「お金」は付き物のような気がします。
もちろん純粋に、「自分流のやり方を追求したい」と独立する人もいるでしょう。
しかし、大山倍達⇒芦原英幸⇒石井和義⇒佐竹雅昭の弟子の関係は、「お金」と言ってもいいかもしれません。
大きな組織の長になると、「どうして空手を始めようと思ったのか?」という事を忘れてしまうのでしょうかね?
毎月、何千万何百万と入ってくると、如何に身体や精神を鍛えていても、訳が分からなくなりおかしくなってしまうようです。
「だってにんげんだもの」って相田みつを氏の言葉がでてきそうです。
私は「師匠は一生、師匠」だと思っています。
これはこのそれぞれにもあると信じたいところです。
それぞれに、慕ってついてくる弟子たちがいるのですから、人間臭さはあっても弟子に恨まれることは悲しいですよね。
それぞれの自伝には、状況は違っても「お金」という試練が師匠を嫌いになってしまったようです。
もちろん、仕事としての肉体疲労、病気やケガもあると思います。
それは師匠の言うことだからと我慢出来たはずが、どこかで爆発してしまったんですね。
先生という立場であっても、「弟子も人間」と言う事を忘れてはいけませんよね。
ましてや、現代なんかにそんなことやっても、今の若者にはツイッターで悪口言われて脱退されるのが落ちですからね。
なかなかフルコンタクト空手界が大同団結出来ない理由は根が深い様に思えてなりません。
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