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本当に「合気」はあったのか?私が大東流合気柔術を辞めた理由!

大東流

もう15年以上前になると思います。

合気道や大東流合気柔術をやっている人ならほとんどの人は知っているという本を読み非常に興味を持ちました。

それまで「大東流合気柔術」というものを知りませんでした。

大東流合気柔術とはザックリ説明すると、「植芝盛平」が大東流合気柔術の技術を万人にも分かりやすく整理して「道」と付け「合気道」の元になった武道です。

植芝盛平に関してはここでは説明は割愛しますね、要するに合気道を作った人です。

そのお弟子さんで最も有名なのが、「塩田剛三」養神館を作った人です。

合気道を知らない人には「はっ?」って感じだと思います。

話は元に戻って、私は一冊の書籍から大東流合気柔術を知り、合気の歴史を少し知りました。

大東流合気柔術を世の中に広めたのは「武田惣角」です。

こちらの説明もネットでたくさん載ってますので割愛します。

その本を読んだことで、どうしても「合気」を体験し会得したいと思った私はネットでもほとんど情報が載ってなかった道場を探しすという休日を過ごしていました。

小回りがきくスクーターで目星を付けた地域を周ること1週間、ついに見つけました。

そこは都内ですが、林の中にあるような小さな道場でした。

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門を叩く

少し離れたところでバイクを止め、道場に近づいて耳を澄まします。

すると中から話し声が聞こえて来ました。

私は「合気」を体験したい、会得したい、その為にはこの道場に入門したいと考えていたので思い切って文字通り門を叩きました!

すると目の前に横長の40~50帖ほどのさほど大きくない道場で門人が稽古終わりだったのか談笑中でした。

私は「入門したいのですが?」というと門人は「見学は行っていません。~曜日にこちらに電話して出直してください」と電話番号を渡されました。

後で本人から聞いたのですが、その先輩にあたる門人は元は剣道をやっていて自分の剣道に合気を取り入れることが出来ないか?と門を叩いたところミイラ取りがミイラになったようでした。

その時、私は中にも入れてもらえず「無愛想だな」という印象でしたが、伝統のある古い武道では得てして門外不出の武術を他人に見せるはずもありません。

私は頂いた電話番号を大事に持って自宅までバイクで一時間半かけて帰りました。

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勇気を出して電話する

そして翌日が指定された曜日の午後だったので、緊張しながら電話を掛けました。

これは後から重要なポイントになってきます。

電話すると師範をやっていてる一番古いお弟子さんの先生が、入門料・月謝・道着を持って来週の~曜日に来て下さいと丁寧に説明して下さいました。

その道場とは武田惣角から免許皆伝を頂いた先生の道場で、その先生は数年前にお亡くなりになっておりました。

晩年は指導する曜日のお弟子さんを決めて、お弟子さんが指導をするのを椅子に座ってアドバイスをしたり時にはふっ飛ばしたりしたそうです。

その指導をしているお弟子さんの中でも一番古株の先生が窓口になっているようでした。

稽古日は週に4~5日だったと思います。

それぞれの曜日で指導する先生が違う訳です。

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入門

私は言われた日時に入門と稽古に必要なものを揃えて道場に行くと、対応して頂いた先生が丁寧に迎えてくださり私の手を取り直接教えて下さいました。

私は「優しい先生だなぁ」という印象でしたが、違和感がありました。

それは先日数名で談笑していた門人さんがほとんどいなくて、3~4名での稽古でした。

稽古終わりに、本日稽古した内容を紙に書いてくださいました。

「たまたま今日は稽古参加者が少なかったんだ」と思い、稽古初日で大東流合気柔術に触れることができたということで嬉しく帰宅しました。

普通道場に入門すると、何曜日であろうが指導員が変わろうが参加しても良いということになっています。(特別クラスなど指名制は別)

もちろん私もそのつもりで、別の曜日の稽古にも行くと先生が違うことはわかっていたので担当の先生にご挨拶をし着替えて稽古に参加しました。

違和感

稽古が始まる前に先生から「何曜日に入門したの?」と聞かれ私が答えると、何やらよそよそしいのです。

「まあ初対面だし、こんなものか」と思いながら稽古を続けていると先生が私を呼んで下さいました。

稽古をしながらいろんな話をするうちに「またおいで」と不思議なことを言われました。

その日の稽古参加者は4~5人でしたね。

「また来るに決まってるのに」と思いながら帰宅しましたが、その違和感の理由が次で理解しできました!

習いたかった先生の日

私が一番習いたかった先生の曜日に行くと、なんと道場には門人が満員状態で5~60人ほどいたでしょうか?

これまでの様子が一変してすし詰め状態での稽古でした。

稽古内容は伏せておきますが、稽古は「座捕り」といって1対1で正座して行う稽古から立ち稽古になっていきます。

約2時間の稽古では組む先輩でその日の稽古の質が変わってきます。

丁寧に教えてくださる方もいれば、稽古中、横の門人と話をしながら自分の稽古以外興味なしみたいな人もいます。

だいたい初めて組む方は「これまで何やってきたんですか?」と武道歴を聞いてきます。

門人には、空手のチャンピオン、総合格闘技のエース、柔道の選手、剣道の選手、芦原会館の内弟子、極真会館の黒帯など様々で、門人いわく「ここは格闘技をやってる人間が、最後にたどり着く道場なんだ」ということでした。

また私と同じように本を読んで入門してくる人も多いとか。

また当然ですが、この大東流合気柔術が初めてという人もいました。

何かしらの武道経験がある人は、丁寧に教えてくれるのですが、「なんの仕事やってるの?それで食えるの?」みたいなゲスな質問ばかりして全く稽古にならない人と組むと最悪でした。

ほとんど組んだ先輩の技量でその日の収穫が変わるのは、なんだか腑に落ちませんでしたが仕方がありません。

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それは突然起こった

二ヶ月目、月謝を持っていきます。

入門した時は何も言われなかったので同じ形式で渡そうとすると、「何をやっているんだ!作法を知らないのか?だから~曜日に入った人間はダメなんだ!」と言われ「???」となる私。

「何も知らない入門したばかりの人間に対して言う台詞か!」と先輩門人や習いたかった先生に対して幻滅したのを覚えています。

それからしばらくして全体像が見えて来たのですが、要するに先代の先生が亡くなってからもそのまま古い弟子の先生達が引き続き稽古を受け持っていたのですが、指導している先生同士が仲が良くないのです。

だから、どの先生もましてや門人たちもが何曜日に入門したのか?と聞いてくる訳です。

基本的には「入門した曜日の先生の弟子」ということなのです!

だから門人たちは1週間自分の先生の稽古しか道場には来ないんですね。

ある時先生が「シキタリを教えてあげなさい」と先輩に言われ、私の教育係と言ったら大袈裟ですがルールみたいなものを教えてくれました。

私は何も知らないので、「他の曜日に出てはいけないのですか?」と聞いたところ、「出ても問題無いけど、そんな門人はいないよ!」ということでした。

その先輩にも私は結構ディスられましたけどね。

しかし、これでツジツマが合いました。

1週間に稽古は4~5日あるけど、曜日で先生が違うので自分が習いたい先生の曜日しか行かないということだったんですね。

それから事あるごとに、「だから~曜日に入ったらダメなんだ」「あの先生は合気を知らない」「他の武道はダメだ」などと他人や他の団体や道場をけなしていました。

それも、本を書いた先生が率先して他人や他の先生の悪口を言う。

この道場が「世界で最高峰の合気(技術)を教えているし、教わっている」ということをそのクラスの全員が意識していながら他の先生や流派を馬鹿にする。

これが私にとって一番耐え難いことでした。

私も「合気」が出来るようになるなら痛いこと辛いことぐらいは耐えて会得したいと考えていましたが、そんな風潮にだんだん嫌気が差してきました。

「世界中でこの道場のこのクラスだけが本物で、それ以外は全てニセモノ」みたいに毎回先生や門人たちは言っていましたが、「本当にそう思うなら他の人た流派のことはほっとけばいいのに」と思ったのは私だけではないと思います。

また、何かをみて入門してきた新人で先輩の技をまともに受けず掛からないように抵抗していると、先生が門人に変わり投げ飛ばしながら「弱いくせに抵抗して!」と凄い剣幕で怒っていたこともありました。

たぶんその新人は本当の「合気」を体験したかったのだが、稽古のシキタリを知らずに先輩の技に掛かってあげなかっただけのことだと思います。

行かなくなった

それでも8ヶ月ほどは通いました。

片道バイクで1時間半掛けて。

驚いたのは、その本の影響で名古屋から通ってくる人もいたことです。

やはり武道家たるもの本物を身に付けたいと思います。

しかし、組む先輩門人のレベル(精神)が低い人が多かったのと、先生や門人たちが他の人や流派をけなすことが嫌になってしまい、だんだんと足が遠のいてしまいました。

私は先生全員に手を取らせて頂きましたが、残念ながら「合気」というものを実感出来ませんでした。

語弊があってはいけませんが、私に合気を掛けてくれているのに私が気づかなかったのかもしれません。

身体の力を抜かれる、自在に操られる」という感覚は味わうことは出来ませんでした。

もし未だに10年以上通っていたも「合気」を感じれるようになっていたかは分かりません。

とにかく、本に書いてあったような衝撃的なことは体感できなかったというのが私の感想です。

正直電車でも1時間半かかりましたから、しんどかったと言えばその通りです。

しかし、それ以上の続けられない理由があった訳です。

人の悪口を言っている先生は尊敬できなかったんです。

それが大きな要因です。

そして結局、自分の好きな空手を、自宅からも30分で行けるカラテを再開することにしました。

再びカラテを始めると、「やっぱり私はこっちが好き」ということが理解することが出来ました。

仕事もそうですが、何をやるにしても「組む人」を自分が好きになれるかどうかだと思います。

本物は自分で見つけたいものですね。

コメント

  1. Raymond Yan より:

    あらら、それは、随分酷い道場に当たってしまいましたね。一つの道場内で、既にそれだけの分派が生じているという話は、初めて聞きました。「合気技」は、武道や護身術という広大な分野の中の一部に過ぎませんから、それほど、拘らなくてもいいと思いますよ。空手をお続けになって下さい。

  2. スーさん より:

    上に同じく同じ道場内で分派ができ、他の曜日には事実上受けにくいのは足の引っ張りあいになり、好ましくないですね。特に社会人は練習時間が限られており、その制約内でやっているのに。「最強の武術」追求は学生時代や青春期にはモチベーション維持や目標達成の為、その時はあっても良いですが、結局習っている武術が最強というより、その習っている人個人の練習量や技量等の要素の方がはるかに大きい訳で、練習時間が多くとれる近くの道場や人格の優れた師範や先輩に教わるのが、社会人にとっては正解だと思います。武道の「道」を追求するか武術の「術」の向上をとるか、考え方次第です。私は考え方がそこそこ護身術として使えれば良いと考えているので、「術」派です。昔自衛隊におり、武術よりかは銃が最強、いや突き詰めれば、核爆弾こそが最強と思っており、「最強」を求め、日々努力しても勝てないものもあると割りきって考えている為でもあります。

  3. じろう より:

    それは、武田惣角師の一番弟子のS川師範のKG井道場の事ですね。
    S川師範亡き後の筆頭師範格のK村先生は、S川師範の古参弟子のY丸先生への無礼な態度などで、性格の悪さが有名ですが、一方で、S川師範亡き後に合気に開眼して、S川師範並みの合気が使えるという評判です。S川門下のY江先生の著書でもK村先生は、極真の松井館長の力を抜いてしまったと書かれています。
    又、田村装備開発の田村社長(元埼玉県警特殊部隊)が、「組み手をしたら、手も足も出なかったすごい合気の先生だ」とYoutubeで語っています。
    貴殿のお気持ちはわかりますが、武術の世界では人格と実力は必ずしも比例しません。
    技術を習うのなら、弱い人格者より、性格の悪い実力者を誰しも選ぶでしょう。

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