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ケンカ十段から「芦原流ケンカ術」を伝授されたのは英武館松本館長だけ?

英武館

英武館といえば、サバキ系カラテをやっている人は知らない人はいないのではないでしょうか?

こちらでも説明しています。

元芦原会館関西本部の松本英樹館長率いる英武館は修羅の捌き!

芦原会館先代館長のボディガード役で最も喧嘩に付き合わされたのは松本英樹館長ではないでしょうか?

先代館長との出会いはこれまで何人もの弟子たちの人生を変えることになりましたが、英武館松本館長の人生も変えてしまいました。

元々、松本館長は自衛隊出身で現役時代に当時の「極真会館芦原道場」に見学に誘われたことがきっかけでした。

自衛隊時代から体力的に群を抜いていた松本館長は自衛隊の徒手格闘技で優れていた先輩から誘われたのだそうです。

自衛隊の訓練だけでは物足りなくエネルギーを持て余していたところだったので、入門して大したことがなければすぐに辞めてしまうつもりだったそうです。

当時から入門したての新人には組手はやらせないのですが、そこは体力あり余る自衛隊員ですから組手になったそうです。

すぐに茶帯まで押し切ってしまったとのこと。

これでは「極真会館芦原道場」としてマズイと思った黒帯が松本館長の顔面が腫れ上がるほどの突きを入れたみたいで、「この借りを返すまでは辞めない」と誓ったそうです。

そこからカラテの魅力に取りつかれ、続ける事になったそうで当然先代館長の目にとまることになりました。

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ケンカに一番付き合わされた?

先代館長の「東京時代に比べると四国では随分ケンカはしなくなった」とは本人の見解ですが、それもケンカ十段のいうことなので多少の頻度のことを言っていて決して止めることはなかったそうです。

何人かの弟子は「芦原英幸のケンカ」を見たと思いますが、そのケンカ十段のケンカに一番付き合わされたのが松本館長だというのです。

数少ない実践のケンカサバキを一番近くで学ぶことが出来たのではないでしょうか?

そのうち先代が吹っかけたケンカを任されることも多かったとも言われています。

しかも面白がって松本館長にやらせていたとも言われています。

そんなたくさんの実践の中で一番学んだのが「度胸」だということで、つまりはどんな状況でも慌てない「平常心」だったそうです。

そんなカラテの技術以上の事を身に着けてた松本館長の英武館ですが、ほとんどメディアに出ていません。

普段の稽古で使う「サバキ」の技術は一般に伝えても問題ないレベルですが、こと実践のケンカで使う「ケンカ術(サバキ)」はとても稽古では教えることができなかったのが想像できます。

そんな「裏のサバキ」ともいうべき先代館長の貴重な技術を一番そばで見てきたのではないでしょうか?

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裏のサバキ

では英武館に入門すれば、表も裏もサバキテクニックが学べることができるのか?が知りたいところですよね?

そこは英武館門下ではない私には説明出来ませんが、松本館長もそこら辺は考えてるでしょうね、弟子にどこまで教えるか。

松本館長のDVDや書籍も出していますが、今ではほとんど市場に出回っていません。

そんな貴重な英武館カラテですが、もし私が関西にいるなら必ず門を叩いているでしょうね。

試合では使えないような、実践のサバキを学びたいものです。

裏のサバキ」というと心体育道が浮かびますが、教える先生は一人でも生徒によって捉えるポイントは違いますしそれぞれの解釈でかまわないと思います。

心体育道も素晴らしい技術体系だと思います。

なにせ、「カラテチャレンジ」を連覇した廣原誠氏が創設した流派ですからそちらも試合に使えない技術ということで気になります。

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ユーチューブ

そんな謎に包まれた英武館カラテですが、数年前からユーチューブに短い動画がアップされはじめました。

まだまだ数は少ないですし、時間も短いものばかりです。

映画の予告編の様に、「もう少し観たい」ところで終わっています。

支部が増えて門下生が増えるともう少しメディアにも出てくると思います。

なにせ芦原先代館長が師範の称号を許した数少ない人物ですから。

ちなみに先代館長が「師範」を名乗ることを許したのは、円心会館の二宮館長と中元会館の中元館長、そして松本館長の3名だけですから。

ここに挙げた芦原会館から独立したサバキ系カラテの流派の全ては「芦原英幸のサバキ」の流れを汲んでいます。

どの流派も特徴はありますし、やっている技術体系はそれぞれ確立されています。

全ての流派に入門することは、まず出来ないと思いますがそう思うと本当に分裂したのがもったいないですね。

それぞれやりたいことが違ってくると、自分でやるしかありませんからね。

「空手はやっている人の数だけ流派があるようなものだ」と誰かが言っていましたが、その通りだと思います。

しかし、先代館長の側近ともいえる現在独立した弟子たちが今でも二代目を支えているかと思うと・・・芦原会館はどうなっているんでしょうね。

そんなことを言ってしまったら、極真会館は更にどうなっていたんですかね?

今となっては100%不可能な関係です。

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