フルコン空手界の良心、誠道塾会長、中村忠さんをご存知でしょうか?
かつては「大山総裁後の二代目は彼しかいない」と言われた人物です。
極真会館の初代正師範代。
初代アメリカ本部長。
はじめてタイ本国でムエタイに挑戦し、勝利した男。
等々、伝説を上げれば切りがありません。
ある記事には、本当の極真カラテを作り上げたのは、黒崎武時氏と中村忠氏と書かれています。
現在はアメリカニューヨークで自らの流派、誠道塾を主催されています。
http://www.seido.com/
中村会長(誠道塾では、こう呼ばれています)の簡単な経歴を振り返ります。
1942年生まれ。樺太出身。
その後、東京の椎名町へ移り住みます。
ご実家は中村医院という病院で、新しく建て直す前の椎名町の駅には「中村医院」の看板が出ていました。
日本大学理工学部建築学科卒業。
高校1年生の時に大山道場へ入門します。
当時は大山総裁以下、安田英治さん、石橋雅史さんと、剛柔流の方が指導をしておられましたから、現在の誠道塾もその面影が見られます。
同世代では、大山茂氏、大山泰彦氏、渡辺一久氏たちがいます。
芦原英幸氏、郷田勇三氏、加藤重夫氏たちは、ちょっと後輩となります。
当時16才で最年少黒帯を取得します。
伝説となっているほどの道場で、最年少黒帯ですから実力もかなり高かったのでしょう。
道場での指導を任される他に、米軍の座間キャンプでも指導を始めます。
当時は白帯、茶帯、黒帯と、帯の色は三段階しか無かったようです。
その際に
「級が上がっても白帯のまま」
「茶帯になるまで、時間がかかりすぎる」
という不満を解消するために、白と茶の間に青、黄、緑を足し、昇級をわかりやすくしました。
「空手道における帯の色の変化(昇級)の重要性とモチベーションについて!!」
また、黒帯の金線を入れることも始めました。
これでぐっと生徒の定着率が上がったそうで、他流派もこの方式を取り入れています。
はじめてムエタイと戦う
1964年、大山道場の代表として黒崎・藤平昭雄らと共にタイへ遠征します。
定説では、はじめに黒崎健時が戦ったとありますが、中村会長の著書では中村会長が初戦を戦ったと書かれています。
ルンピニー・スタジアムでムエタイ選手とムエタイルールで対戦し、2RKO勝利しました。
youtubeには藤平、黒崎の試合はアップされていますが、なぜか中村会長の試合はありません。
同年、大山道場は国際空手道連盟極真会館となり、1965年に大学卒業後は極真会館の専属職員となり、初代首席師範となりました。
中村会長はここでも改革をします。
門下生を増やし、定着を良くするために、夜のみだった稽古を朝・昼・夜の三クラスに増やします。
そのほか、夏冬の合宿も企画。
そして、アメリカへの赴任を機に、はじめて百人組手を行いました。
もっとも、この頃の百人組手は現在のような壮絶なものではなく、送別の意味を込めた親愛の現れであり、二日間かけて行われたそうです。
1966年からニューヨーク市ブルックリンで指導を始めます。
門下生にはウィリアム・オリバー、チャールズ・マーチンらがいます。
中村会長はアメリカ各地の他にも、南米・ヨーロッパ・ニュージーランドへも行き、現地門下生の指導や演武を行いました。
また、後日同じアメリカへ赴任された大山茂氏と、真剣白刃取りや氷柱割りの演舞を開発。
極真会館主催の全日本大会や世界大会でも披露され、大きな話題となりました。
自著の「人間空手」によれば、世界大会での大山総裁の暗に八百長を促すような発言や梶原一騎・真樹日佐夫が極真会館内で横暴に幅を利かせていくことが契機となって、極真会館を脱退。
1976年に誠道塾を設立しました。
ニューヨークの誠道塾は
ニューヨークはマンハッタンの一等地にある道場は、すごく立派です!
極真会館でもいろいろなアイデアを出してきた人ですから、アメリカの地でもニーズやマーケットを読むことは得意だったのでしょう。
ニューヨーク内だけでも本部道場のほかにもたくさん道場がありました。
きれいな受付カウンターがあり、受付嬢までいました。
かなり広い道場で、更衣室やシャワーはもちろん完備。
ビルの2フロアーを借り切っています。
道場には老若男女、人種を問わず、いろいろな人が通っています。
白人、黒人、大きいの小さいの、私が見たときは、道着なのにユダヤ教の帽子をちょこんと乗せているおじいさんも稽古していました。
人種がいろいろだと、ナチュラルで大きくて強そうな人はワンサカいます。
身長2メートル近くで胸板が分厚いのが入ってくれば、稽古云々ではなく「こりゃ勝てない」と思ってしまいます。
日本と違って「最強」「実戦」などの言葉をあまり表に出さないのは、こういった背景が強くあると思います。
また、銃社会のアメリカでのニーズは「最強空手」には無かったのではないでしょうか・・・
中村会長は「人間空手」を標榜しています。
それでも誠道塾のトーナメントも毎年開催しています。
ルールはローキック無し、ヘッドギア、手と足にパッドを装着してのライトコンタクト、ポイント制です(それでも充分に強そうです)。
空手のオリンピック化のコラムでも書きましたが、一般人への普及を考えたら、フルコン空手のダメージ制ルールは無理です。
刺激には欠けるかもしれませんが、このくらいがベターでしょう。
実際、アメリカではもっともポピュラーなルールだと思われます。
ベニー・ユキーデで有名になったアメリカン・マーシャルアーツは、実は誠道塾のルールを参考にして考案されたという話です。
この誠道塾ルールを考案したのも、中村会長です。
オシャレな中村会長は毎日ピシっとしたスーツで道場まで通っていました。
背は高くありませんが、体はゴツく、50代までベンチプレスで130キロ以上の重量を上げていたそうです。
現在の空手家はサンドバッグを打つのでそこまで拳ダコはないと思いますが、中村会長は拳もゴツゴツです。
部位鍛錬もしまくっているようで、砲丸投げの砲丸のような拳をしていました。
まとめ
真面目で温厚で、さらに芯の強い人間性から、先輩・後輩を問わず人望と信頼を集めていました。
その後スターになった極真空手の後輩たちの本でも、中村会長を悪く書いてある本はありません。
空手の実力も然る事ながら、道場経営者としても成功しています。
あくまで空手道を教えているために、稽古内容は非常にクラシカルです。
よって、「競技として進化していくに伴い、技術体系も変化していく」ということは、あまりありません。
ここには年をとってもできる、空手らしい空手が残っています。
コメント
始めまして、管理人様。
私は20代の頃に大道塾へ入門しまして、未だ稽古を続けているのですが、気がつけばアラフィフになっておりました(笑)
この度塾長の東が他界した事を節目とし、自身の人生を振り返って悶々としていた所、このサイトに辿り着きました…
我が団体には、極真も含めてそこから分裂した団体の特質が、薄められた状態で全てあります。
華やかな部分、暴力的な部分、懐古的な武道精神、心温まる道徳的・倫理的な部分。
塾生は自分に応じて、そのどれかを選択する事が可能です。
私は状況に応じて、いずれかを選んで来ました。
しかしどんな時でも忘れてはならないのが、中村忠先生の「道徳的・倫理的な部分」だと思うのです。
人生は短く、そして虚しい。
自分の生き方を後悔しない人間なんて、おりません。
どんな大企業の社長でも、芸能人でも、サラリーマンでも乞食でも、皆が迷いながら生きて死んで行くのです。
私はその後悔の数を、ゼロにするのは不可能にしても、少しでも減らしたい。
そんな時、中村先生の笑顔が、とても輝いて見えちゃうのです。