タイと言えばムエタイ。
立ち技格闘技の最高峰がムエタイです。
日本人6人が短期間現地の王者になっていますが、選手の層は厚く、ムエタイを打ち破るのは至難の技です。
ブラジルと言えばサッカー。
言わずと知れた、サッカーワールドカップでの最多優勝回数国。
ブラジル以外の海外プロリーグで活躍する選手だけで数百人という、まさにサッカー大国です。
タイとブラジル、才能のある若い選手が次々に生み出されます。
では問題です。
このムエタイとブラジルサッカーの共通点とは何でしょうか?
答え。
「あまり練習しない」
です。
あなたは、「ウソつけ!ありえないだろ!」
と思っているでしょう。
たしかに「あまり練習しない」は言いすぎかもしれません。
正しくは「あまり一生懸命には練習しない」です。
日本の場合
日本人はまじめ過ぎます。
こどもに空手やほかの習い事をさせても、すぐに一生懸命にやりすぎて、やらせすぎてしまいます。
結果、行き過ぎた指導が部活動での体罰になったりします。
日本の運動教育の雛形は、明治維新以降の軍隊です。
短期間のうちに、脱落者の出ないように全員を兵隊にしなければなりません。
ですから、無理強いしてでも「短期間」に「全員」に「一定程度」のことをできるようにするため、体罰やパワハラのようなことが当たり前になりました。
日本にスポーツが入ってきたのも明治維新以降。
それまでは武士階級が剣術・武道をやっていましたが、90%の農民は日々の労働しかしたことがありません。
「体を動かす」ことのほとんどが、半ば「軍隊式」で伝達されるようになりました。
日本の「運動」は、西洋的な「体を動かして楽しむ」純粋なスポーツではなく、勝ち負けを決めるための「勝負事」とイコールなものとして広まります。
『無理強いしてでも「短期間」に「全員」に「一定程度」のことをできるようにする』ことが目的です。
運動部の、「下の者が上の者に対する絶対服従」のような関係は、「軍隊式」ということです。
一人の行動のために全員の命が掛かっている軍隊ですから、規律を重んじてこうなっていくのは理解できます。
でも、「あくまでも軍隊ならば」の話です。
ブラジルの場合
話が逸れましたが、タイとブラジルです。
まず、ブラジル。
ブラジル人はサッカーが大好きです。
子供の頃から、みんなサッカーをやります。
ボールが無ければ空き缶で。
サッカーコートが無ければ空き地へGO!
空き地が無ければ、道端で。
二人、三人集まればゲームがはじまります。
そう、サッカーはゲームなんです。
ゲームは楽しいからやるんです。
日本のように、集合時間に遅れたら指導者に怒られ、みんなで走って、ドリブルして、試合をしてもミスをすればコーチに大きな声で怒鳴られ、そんなサッカーが楽しいでしょうか?
ブラジルのこどもたちは練習なんかしません。
学校には日本と違って部活はありませんから、どこかのチームに入ります。
すると、見ている観客やチームメイトが
「お、あいつ上手いな。今度の日曜に別のチームで試合があるんだ。助っ人に来てくれないか?」
「いいよ。」
といった感じで声がかかります。
また、
「今度の日曜も頼むよ」
「バスのお金が無いから行かない」
「じゃ、バス代出すよ。お昼ごはんもおごるからさ」
といった感じでチームを移籍したり、ギャラをもらったりするようになります。
ですから外国の選手は、プロになってもチームを移籍することに抵抗が無いのです。
この間、試合(ゲーム)が主体ですから、まとまって練習したりすることもありません。
練習するのはよほど上を目指すのか、上位のチームで生存競争が激しくなってからです。
あくまでも楽しいからサッカーをするのです。
ブラジルの少年たちは、こうやってサッカーがうまくなるのです。
タイの場合
ムエタイはブラジルと比べると、練習はします。
こどもの時からムエタイジムに住み込んで、そこから学校へ通ったりします。
朝のロードワークから、サンドバッグ、シャドウなど、大人と同じように練習はしますが悲壮感はありません。
男の子は戦いごっこが大好きですから、その延長のような感じでしょう。
「遊びのようなスパーリング、スパーリングのような遊び」です。
試合も特別な悲壮感ではなく、試合をやりながら技術も覚えていく感じです。
ブラジルと同じように、試合(ゲーム)があっての練習です。
日本のように「最強」という目に見えないゴールがあって、そこを目指す道として「競技」があり、道しるべとして「試合」があるわけではありません。
ムエタイは生活の糧であり、職業です。
ですから、過去「ムエタイ○冠王」などと言われたチャンピオンが、引退後は普通に日本へ来て、肉体労働や飲食店の仕事をしていたりします。
現在のムエタイは完全にギャンブルのためのものですから、極端な話、選手は強かろうが弱かろうが、同じようなレベルの二人が八百長をせずに試合をすればギャンブルとして成立します。
ですから、ムエタイ選手はダメージを負わないように小型化していて、引退年齢も早くなっています。
強ければ試合数が多くなって稼げますが、強すぎてもギャンブルが成立しなくなり、試合数が減ってしまいます。
「地方の貧しい少年がムエタイで稼いだお金で大学まで行き、卒業したら普通に就職する」のが普通になっています。
かつて、黒崎健時と藤原敏男が「打倒ムエタイ」を目指したような悲壮感、求道者的なものはありません。
それでもムエタイの選手はものすごく強い。
何故なのか?
ブラジルのサッカーと同じように、子供の時から
「遊びのようなゲーム(試合・スパーリング)、ゲーム(試合・スパーリング)のような遊び」
をずっとやっているからだと思います。
楽しかったことは記憶に残るし、プレッシャーの無い状態のほうが体の反応もしやすくなります。
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まとめ
「まじめに一生懸命」
「その道を極める心意気」
は、間違いなく日本人の美点です。
しかしながら、
「ひとつの行為にいろいろな意味を込めすぎて、内外からのプレッシャーにしてしまう」という、負の側面もあります。
「国民性」と言ってしまえばそれまでですが、どちらも程度問題ですね。
これからスポーツを始めるすべての人、武道を学んでいるすべての人も、両方の良い部分を生かしながら続けていって欲しいと思います。
そして子供たちが、楽しく、学んでよかったと思えるような環境を作って欲しいと思います。
私的なことを言うと、前にもどれかの記事に書きましたが、子供の頃一生懸命やったことは一生忘れないと思います。
私の場合、中高で少林寺拳法を県大会で優勝するほど真面目にやったせいか、技の名前は忘れても「技」は身体が覚えており、今でも誰にでも掛けることができます。
そんなん風に仕込んでくれた先生に今でも感謝しています!
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