新極真会代表の緑健児、八巻空手代表の八巻建志、数見道場館長の数見肇、新極真会の塚本徳臣など極真空手の歴史に残るチャンピオンたちを育てた廣重毅師範が極真空手道連盟・極真館から独立し、新空手団体を設立しました。
国際空手道連盟・極真会館時代は東京城南川崎支部の支部長として絶大なる指導技術を持つ指導者として廣重師範は、2003年年明け早々に同埼玉県支部長だった盧山初雄師範と極真館を設立し、盧山師範が館長、廣重師範が副館長となって活動してきました。
2016年112月に極真館城南品川支部で広重師範の弟子であった金子雅弘支部長が除名処分を受けたことをきっかけに、「組織のあり方に我々の目指す極真空手道の形と、現極真館とはもはや埋められない隔たりがあることが明らかとなった」(プレスリリースより)と脱退しました。
私は常々このブログでも「空手はやってる人の数だけ流派があるようなものだ」と何度も書いていました。
いつかはこのようになるのでは?と思っていましたが、失礼ながら私は広重師範はもっと早くに独立するものだと思っていました。
組織が大きくなるとたくさんの課題や問題点が噴出してきます。
また理想と現実とのギャップにも迫られることも出てくることでしょう。
そこでどうするかなんですが、やはり「道」とついている武道をやっているのであるから問題に立ち向かおうとしてきたと思います。
八巻建志選手が優勝した時の極真カラテの世界大会のビデオを持っているのですが、これから決勝戦に向かう弟子二人に声を掛けているのですが、それがとても優しくどちらにも頑張ってほしい、悔いのないようにという気持ちが伝わってきます。
あれを観ると「本当に良い先生なんだなぁ」って感じます。
分裂する前から4人の極真カラテの世界チャンピオンを排出することは本当に凄いことです。
稽古風景を観ていいても弟子想いなのが伝わってきます。
そしてこの独立にもたくさんの弟子たちが広重師範について極真館を離れましたね。
盧山館長よりも広重師範を選ぶといういことは、弟子だっただけではない理由もあると思います。
「極真館として独立した広重師範についていったのだから、辞めるときもついていく」ということは脱退した支部長たちは盧山館長のことはどう思っていたのでしょうか?
気になります。
極真館全日本選手権を四連覇している藤井将貴もついて移籍しましたからね。
本当に空手は人それぞれで考え方が違いますね。
というより大きな組織は門下生の意識を統一することが如何に困難かが分かります。
はじめに極真会館が分裂した時も辛かったと思います。
確かはじめの頃は「中立」でどちらの大会にも弟子を出場させるスタンスだったが、それが難しくなり松井派に残った形だったと記憶しています。
でもその時、広重師範の元を離れていったで弟子たちもたくさんいましたね。
緑健児や塚本徳臣は離れていきました。
その時の松井館長のことが許せなかったんですね。
当然何度も話し合いの機会を持ったと思います。
でもそれぞれがそれぞれの「空手道」に向かって動きだしたのでしょう。
要するに空手の技術よりもやっている人間が理想の「空手道」になっていかないと人は付いてこないのかもしれませんね。
しかし、弟子の金子雅弘支部長が除名処分を受けたことで独立するなんて、経緯は分かりませんが「男気」を感じますね。
盧山館長よりも何かをしでかした弟子をつれて独立なんて、私だったら一生付いてくかもしれません。
独立したとはいえそれなりに門下生もりので大会も開けるんですね。
広重師範の人望は本当に厚いようです。
これからも強い弟子を作って、極真館の大会にも選手を送り込んだりして切磋琢磨出来ると良いのですが、どんな感じで辞めていったかにもよりますよね。
今後交流できるのか?それとももう二度と交わることが出来ないのか?気になるところではあります。
これからも両流派には少し注目しておきたいと思います。
余談ですが、私が若い頃、広重道場に通っている友人がおりまして、「高校生の頃、少林寺拳法で県大会で優勝したことがある」と伝えると、「一緒に空手やろう!」と広重道場とプリントされた極真カラテ道着を誕生日プレゼントに貰ったことがあります。
その10年後ぐらいに別の道場に入門したのですが、左腕の「広重道場のプリントを隠せばその道着を使用してもいい」ということで使っていた事があります。
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