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江上茂著「空手道入門」レビュー 【何のために空手を学ぶのか?】を読んで!

全日本空手道連盟

復刻された江上茂著の「空手道入門」を購入しました。

この書籍の初版は1977年みたいで、当時としては最高の技術者として有名のようでした。

昔はとても高額で5万円とも10万円とも言われていたそうです。

この本は極真会館の大山総裁の書斎にもあったそうですし、芦原会館の先代館長も読まれていたそうです。

江上氏は船越義珍氏を師事し、唐手を学んだ弟子としても有名です。

もちろん空手家としての評価も高いものでした。

昭和13年に松濤館段位審査員となり、第二次世界大戦後、船越義珍の師範代となって早稲田大学空手部監督を務めた後、学習院、東邦、中央など各大学の師範を歴任しました。

当時としては、空手のバイブルとも言える書籍であったに違いありません。

前書きを読んだだけで、当時の空手を広めると言う大変さが伝わってきます。

また、興味深かったのは「練習」と「稽古」の違いです。

「練習」とは、練り習うことで肉体の訓練に重きをおいていて、「稽古」とは、古(いにしえ)を稽(かんが)える、つまり先達の考えを実践するということでした。

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「怒り、憎しみ、恐怖心」を捨て去ることが稽古

この本によると、江上氏本にも「強さ」を求めてからてを始めたようです。

「必勝、必殺は初心者のものである。」と書かれており、「勝ちたい」と思っているウチはその初心者の域を出ないそうです。

この本を読むと、私もまだまだ初心者です。

「向かい合った相手が、たとえ殺意をいだこうとも、すべて稽古相手はありがたい存在です。自己を知り相手を知る。そしてその関わり合いを知る。それが稽古です。」と書かれていて、稽古相手がありがたいのは私もしみじみ感じています。

一人稽古はつまらないですからね。

ただ、私は「殺意」を持った相手をありがたいと思えるのか…疑問ですが、合気道養神館の故塩田剛三氏もこう言っています、「一番の護身は、自分を殺しに来た相手と仲良くなること。」だと。

達人の考える事は、すごいです。

私も武道を始めたのは、やはり強くなりたかったからです。

長く続けていると分かるのですが、肉体だけの強さだけではダメだと理解できます。

武道を始めるきっかけとしては、「ケンカに強くなりたい」「肉体の強さを求めている」でいいと思うのですが、やはり精神的にも武道家にならないと武道をやっている意味はないと思います。

また船越義珍氏は「空手に先手なし」「礼に始まり礼に終わる」「自然に逆らわず」をよく口にされていたそうです。

詳しくは本に書いていますので、内容についてはあまり触れないようにしますね。

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項目ごとに説明されている

第1章 「柔軟体操と正座」

第2章 「基本」

第3章 「型」

第4章 「組手」

となっており、その後も付け加えられています。

タイトルだけ見ると普通の稽古の順番ですが、中身が濃いです。

というのも事細かに技術を解説しているのではなく、「あり方」的な要素が多く含まれていましたね。

第1章では、柔軟体操の重要さを説明したかと思えば、「いざ戦闘態勢になるのに、準備運動はしている暇など無い」、また柔軟体操もりっぱな稽古だとも書かれています。

第2章では、基本は重要だと書かれているのはもちろん、「型の中から選出した形、動きを基本的に訓練する」とあり、納得しました。

また、「立ち方」について書かれていて、昔と現在の進化した形の違いを解説してくれています。

興味深かったのは、フルコンタクトカラテの「不動立ち」とは全く違った「不動立ち」だったことです。

また「実践で使えるか使えないか」で変化してきたとも説明されています。

「受け」は「下段払い」から始めていくとか、「巻藁突き」はどこまで重要なのか?

私が一番驚いたのは、「前蹴り」の「蹴り足」でした。

第3章では「型」ですが、「型によって、用意の構えが違うことが合点がいかない」と書いてあったのは面白いところでした。

この意見には私も賛成なのですが、「型の意味が分からなくてもとりあえず、やってみる」ということが大事ですよね。

第4章では「組手」ですが、「型の中の技を、実践的に相手を立てて練習する」と書かれています。

元々からての稽古には組手は無かったそうです。

型の中から自分で実践を想定したものを抜き取って、一人でひっそり稽古していたそうです。

まとめ

昔は、プレミアがついていたのかとても高価な空手の書籍だったようです。

大山総裁も芦原先代館長も書斎には置いてあったとのことで、とても興味をそそられました。

技術書でありながら、写真が少なく技術よりも江上氏の考え方をメインに説明されています。

芦原先代館長の、「実践!芦原カラテ」を見ても影響を与えていることがわかりますね。

確信したことは、「変化」をしてもいいということです。

沖縄から伝わった「唐手」は、伝わる過程で、教える側の解釈で伝わっているということです。

それが流派に反映しているのが理解できました。

確かに先生は一人でも、生徒が10人いれば10通りの解釈があります。

またそれを継承する弟子の解釈でも変化していきますよね。

そして流派ごとに特色があるとはいえ、元は同じ「唐手」ですからね。

「空手に先手なし」の船越義珍でさえ、基本や型を「実践に使えるかどうか」で変化させてきたのを知ってなんだか安心しました。

私の中でその「変化」を最もした流派が、芦原会館ではないかと思うのです。

大山総裁が直接打撃制の流派を起こしたのは空手界が激震しました。

その流れを汲む中で、「古典の型」を完全にやめて、独自のそのまま組手にも使えそうな「型」にしたのは凄いことだと思います。

多分、芦原英幸館長は「俺の流派じゃけん俺の考える技術を教える」と考えたのでしょうね。

それがいまではどうでしょう?

その流れを汲む、流派の多いこと。

こちらを参考にして下さい。

芦原英幸の「サバキ」の影響を受けているカラテ流派はこんなにある!

話が反れてしまいましたが、江上氏の考える空手が「柔軟でなければいけない」とされています。

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昔の唐手は、人にやっていることを言うことや稽古を見せることもせず「秘術」であったそうです。

構えも基本の技も全て身体を締め上げてカチカチにした状態で行っていたそうです。

とにかく鍛えなければいけない所は、徹底的に痛めつけて鍛えるということをやっていた初期時代があって「それではダメだ」ということで変化してきたといいます。

老若男女だれでも、いくつになっても出来る稽古でなければ意味がないと。

私もそう思います。

とにかく、空手の修行は「強さ」だけではないとを切々と語っています。

『からて』が「術」から「道」になることにも触れています。

ぜひ、空手をやっている方であればご一読しておいて損はないと思います。

参考:江上茂著「空手道入門」

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