数見館長のセミナーが興味深い!意識は繰り返されるのか?

フルコンタクト界で「数見肇」と言えば、言わずと知れた揺るぎなき極真のチャンピオンですよね。

いまだ、数見氏ほどの実績を超える選手は出てきません。

極真空手の歴史の中で、あれほど安定した強さを維持した選手はいませんよね。

その、数見氏も極真の分裂騒動に巻き込まれ、師匠の廣重氏と共に、極真館に移籍しましたが、それほど長い時間はかからずそこからも脱退し、独自の流派を開きました。

それが「空手道 数見道場」です。

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独自の路線を歩み始めました


ご本人では無いので、どのように考えていたのかは定かではありませんが、ニコラス・ペタス氏との対談を観ても、迷いや悩みがあった事が伺えます。

自分の目指す空手を模索していた時期もあったことと思います。

そこで、宇城師範と出会って、かなり影響を受けていることが伺えます。

私も、「宇城空手」には大変興味があります。

その宇城師範に教えを受けている姿は、すっかり違う空手になっているように見えました。

数見氏の中では、自分の目指している空手を作り上げている段階だったと思います。

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私が、感じた極真との違いは、「基本稽古」です。

基本稽古を全て見た訳ではありませんが、大きな違いは、正拳突きを「三戦立ち」ではなく、「外八の字立ち」で行っているところです。

または、自然体から技を出していたりしています。

これは、宇城空手から来ているのでしょう。

また、引き手の位置が、伝統派のように低い位置(帯びの上)に引いているのも気になりました。

空手の稽古は「非日常」である


ニコラス・ペタス氏との対談で、組手を「非日常」と言っていましたが、私は空手の稽古事態が非日常だと思います。

フルコンタクト空手を極めた数見氏が、「空手は型です」とも言っています。

それも分かります。

私は「組手も空手です」とも思います。

その稽古のどれをとっても、「空手は空手」だと思います。

古の先人たちの作りあげた「」を現代で練りあげるのは、相当な稽古が必要です。

また、もしその型を実践で使おうと思うと、なかなかリアルでは無くなってくるように感じるのは、私が凡人だからかもしれません。

映画「ハイキック・ガール!」のアクションで中師範が、見事に演じていますが、それは立ち回りです。

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人間が創ったモノに完璧は無い」とは私の持論ですが、型の稽古は大変重要です。

いつも書きますが、「空手はやってる人間の数だけ流派があるようなものだ」と言われますが、あの「型」が使えないからと、まるっきり変えて独自の「型」を持つ流派もたくさんあります。

その最たる例が、芦原会館の「型」ではないでしょうか。



まとめ


この動画を観ると、段々と元の形といいますか、組手につながる型の稽古になってきている様に感じます。

選手たちも凄く熱心なのが分かります。

考え方も人間である以上、変わったりするのは当たり前です。

しかし、数見氏本人の中では、何も変わってないのかもしれませんね。

外国とはいえ、古巣の極真の選手に、組手の稽古をつけるのは、感無量ではないでしょうか。

また、廣重道場時代の仲間で、錬空武館館長高久昌義氏とも親しくしているのも数見館長らしいです。

フルコンタクト空手である以上、スパーリングはやってる訳ですから、そのうち「数見道場 全日本大会」とかあるかもしれませんね。

何を学んでも、「山の頂点に登るのは皆同じ」だと思うので、意図することは同じだと思います。

全ては「」ですから。


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